日本の分割統治案とは?

第二次世界大戦終了後、日本はアメリカによって占領されます。その時代は、1952年まで続きます。日本がサンフランシスコ講和条約によって主権を回復した、1952年4月28日を真の独立記念日だと主張する人たちもいます。同時期にこの人を境として、沖縄や小笠原諸島はアメリカの占領下に入るため、沖縄では屈辱の日とも呼ばれています。


四カ国統治

日本は戦後アメリカに統治されますが、一方で、連合国側によって分割統治されるという案も存在していました。内訳としては北海道と東北がソビエト連邦、中部、関東甲信越、近畿地方はアメリカ、中国地方と九州はイギリス、四国は蒋介石率いる中華民国というものです。さらに東京はアメリカ、ソ連、イギリス、中華民国の四カ国統治、大阪はイギリス、中華民国の二カ国統治という案が存在しました。実際にこのような統治が実現していたとするならば、日本も南北朝鮮、南北ベトナム、あるいは東西ドイツのような分断国家となっていたかもしれません。

なぜ廃案になったのか?

具体的なプランがあったにもかかわらず分割統治は実現していません。この背景には、アメリカが原子爆弾の開発に成功したため、東アジアにおいて軍事的な優位性を保つため、共同統治案を撤回したという説があります。アメリカが日本をソ連に対する前線基地としてとらえるようになったともいえるでしょう。

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