ヒトラーが政権を握った本当の理由

ドイツの政権を握り、アウシュビッツ収容所によるユダヤ人への迫害で有名なヒトラー。独裁者と呼ばれたヒトラーはどうやって政権を握ったのでしょうか? ヒトラーが政権を握った本当の理由を紹介します。


アドルフ=ヒトラーの登場

オーストリアのウィーン出身のアドルフ=ヒトラーは、1919年にミュンヘンでドイツ労働者党に入党します。あっという間に党首となった1920年には国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)と党名を変更します。25か条綱領で、打倒ヴェルサイユ体制、徴兵制復活、ドイツ民族の優越、大ドイツ主義(オーストリア併合)、反ユダヤ、反資本主義、反共産主義を唱えます。党員は拡大し、突撃隊は数千人規模になりました。

ヒトラーが政権を握るまでの背景

ヒトラーは1923年のミュンヘン一揆に失敗し、投獄されました。合法路線、つまり選挙に勝利することによる政権奪取への路線変更の必要性を痛感したヒトラーは、湖の畔の別荘で軟禁状態になり、そこで『わが闘争』を著します。その中でヒトラーは大衆の心理を女性の心理になぞらえています。大衆の心理は女性の心理と同様、選択肢を複数提示されるより唯一の選択肢を明示され、それに支配されることを望むのだ、と説いています。ヴァイマル憲法では20歳以上のすべての男女に選挙権があったのです。

ヒトラーが政権を握った本当の理由

1929年の世界恐慌の到来でナチスは共産党とともに議席を増やし、1932年7月には得票率37.4%でいよいよ第一党になりました。11月の選挙でナチスが後退し、ヒンデンブルクはシュライヒャーに組閣させたんですが、共産党が議席を増進したため、財界や保守勢力は危機感から本格的にナチスを支持するようになります。ヒトラーを首相に指名するよう大統領に迫ったのです・

ヒトラー政権(ドイツ第3帝国)

1933年1月、ヒトラー内閣が成立します。ナチスは2月には国会議事堂に放火し、それを共産党のせいにして共産党を非合法化します。3月、全権委任法を通してヴァイマル憲法を停止し、ナチスの独裁体制を確立しました。ヒトラーはこの年にオーストリア市民権抹消手続きをとり、ドイツの市民権を取得したのです。また、ヒトラーはこの年に教皇ピウス11世と政教条約を結びました。そして国連を脱退します。また、1934年にドイツ国防軍と対立していた親友だったはずの突撃隊レームを粛清。血も涙もないのがヒトラーです。ヒンデンブルク大統領が死去すると、ヒトラーは大統領を兼任し、総統になりました。

ユダヤ人への迫害

ナチスのユダヤ人に対する迫害が始まり、物理学者アインシュタインやドイツ系文学者トマス=マンらは国外に亡命しました。1935年のニュルンベルク法でユダヤ人の公民権が制限されます。ユダヤ人に対する迫害は1935年のベルリン=オリンピックでいったん緩和されましたが、その後、1938年には「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人の商店への破壊がなされました。破壊されたショーウインドーのガラスの破片に月明かりが反射した様子からこう呼ばれたのです。ヒトラーは1939年から強制収容所をつくります。1942には現ポーランドにアウシュヴィッツ強制収容所をつくります。労働組合もナチスの御用組織「ドイツ労働戦線」に再組織されます。思想は弾圧され、秘密警察ゲシュタポによる恐怖政治が行なわれました。

ヒトラーの対外政策

ドイツ人のレーベンスラウムを確保するために、ヒトラーは1933年に国際連盟と軍縮会議から脱退します。1935年には住民投票でザールを併合。再軍備宣言して徴兵制を復活させ、ヴェルサイユ条約を明白に無視します。1936年、ドイツはロカルノ条約を破棄し、ラインラントに侵攻しました。

その後1939年にポーランド侵攻により第二次世界大戦を引き起こし、連合軍による反撃により最後はヒトラーは自殺しました。しかし、ヒトラーが政権を掌握した方法には目を見張るものがあります。

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