ベンジャミン・フランクリン成功の理由は人脈術!? 偉人フランクリンの歴史

「ネットワーキング」という言葉が初めてビジネス用語として使われたのは、1966年のことです。しかし、それよりも200年以上前、若きベンジャミン・フランクリンはフィラデルフィアで、この素晴らしい社会科学的手法を活用して、まだ名もなき祖国で誰よりも大きな影響力をふるう人物の1人となりました。ベンジャミン・フランクリンの人脈術を紹介します。


ベンジャミン・フランクリンの苦労

フランクリンは偉大な愛国主義者にして政治家、発明家として知られています。しかし、それ以前に彼フランクリン、年季奉公人から印刷業界の大物にまでのし上がったアメリカ屈指のやり手ビジネスマンだったのです。1723年、17歳のフランクリンには財産もなければ実績もありませんでした。ニューヨークで仕事が見つからずフィラデルフィアに移ってきたばかりのフランクリンは、兄ジェームズに習った印刷工の技術を生かし、いつか起業することを夢見ていました。誰1人知り合いがいないフィラデルフィアで印刷所を始めるため、フランクリンは人脈づくりの魔法を使い始めました。

名の知れた印刷所に職を見つけたフランクリンは、フィラデルフィアに来て7カ月で、ペンシルバニア州知事ウィリアム・キースと知り合いになりました。知事はフランクリンに目をかけ、ロンドンへ行って開業に必要な機材を買いつけるよう説得した。さらには印刷機と活字を購入できるよう、紹介状と信用状を書いてあげようとまで言ってくれました。

ところがロンドンに着くと、キースの言葉が口約束にすぎなかったことが判明します。それから2年間、フランクリンは帰りの旅費を稼ぐためロンドンで働きました。そしてアメリカへの帰路、フランクリンはまたしても人脈づくりの手腕を発揮します。同じ船に乗りあわせたトーマス・デナムと懇意になって、フィラデルフィアに戻ってから彼の店で番頭として働くことになるのです。

クラブの結成

しかし、フランクリンは、すぐに再び印刷業に舞い戻り、以前と同じ印刷所で働き始めます。このころフランクリンは知的好奇心を満たし自らを高めるため、10人ばかりの友人とともに「ジャントー」というクラブを結成し、金曜日の夜に会合を持つようになりました。フランクリンの自伝にはこう書かれています。

「このクラブの結成に当たり、私は、参加者が交代で政治・倫理・自然科学のいずれかの分野の諭点を提起し、その問題についてみなで話し合うこと、また参加者は三カ月に一回、自分が好きなテーマに沿ってエッセイを執筆し、それを全員の前で朗読すること、という二つの規則を定めた。」

ジャントークラブの参加者は、フィラデルフィアの財界エリートが集うクラブに入れるほどの地位も名声もない若者たちでした。彼らはフランクリンと同じような、ごくふつうの商売人でした。フランクリンは、このクラブをこよなく愛していました。実際、節約・勤勉・平静という3つの徳目に加え、たとえこの3つを手に入れられなくても、人はみな何らかのクラブ・団体に入るべきだと自伝の中で述べているほどです。

フランクリンは、志を同じくする仲間と集えば、互いの成功を足がかりとして独力ではとても不可能なことを実現できると信じていたのです。

メディア事業の成功

1731年、開業資金をためたフランクリンは「ペンシルバニア・ガゼット」という弱小新聞社を買いとりました。気のきいた文章や挿絵と積極的な営業が功を奏し、「ガゼット」紙は植民地で最大の発行部数を誇る収益性の高いメディアへと成長します。新聞社の成功によって、フランクリンは18世紀のメディア王となりました。

公共事業に乗り出す

フランクリンはこうして得た名声、それに財力をもとに公共事業に乗り出し、その第一歩として、北米初の図書館フィラデルフィア会員制図書館を設立しました。彼が手がけた初めての公共事業であるこの図書館設立運動をきっかけに、フランクリンはネットワーキングの利点を強く意識するようになる。運動を進めるなかで、人々の反対にあったフランクリンは、次のように語っています。

「私はすぐ、自分の名声を少しでも高めそうな有益な事業を提案するときは、自らの名前を出してはいけない、でなければ周囲の協力は得られないということを悟った。そこで私自身の名前はできるだけ表に出さず、近隣の愛書家に図書館設立を提案するよう、友人たちに頼まれたのだと触れまわった。こうすることでずっと話が通りやすくなった。以来私は、さまざまな場面でこの方法を踏襲した。」

こうしてフランクリンは、ジャントー・クラブの協力を得て50人の会員を集め、1731年に図書館を設立しました。続いて、1735年には自警団、1736年にはフィラデルフィア初の消防組合、1749年には初のカレッジ、1751年には官民共同出資による植民地初の病院、フィラデルフィア初の火災保険会社を設置しました。さら1747年にはペンシルバニア州で初めて志願制の民兵団を組織し、舗装・街灯設置・清掃といったフィラデルフィアの街路整備事業も立ち上げました。どの事業も、仕事や私生活でのフランクリンの人脈に助けられて実現したものです。こうした事業とともにフランクリンのネットワークはさらに広がり、世直し人としてのフランクリン自身の名声も高まっていきました。

ジョージ・ワシントンが合衆国初代大統領に就任しておよそ1年後の1790年4月、フランクリンはこの世を去りました。2万人を超える市民がフランクリンの葬儀に参列したと言われています。

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