なぜ日本人はとりあえず謝るのか -世間という共同体の特殊性-

町中ではサラリーマンの方々が携帯電話片手にペコペコしています。話している相手は目の前にいないのに関わらず、なぜかお辞儀。それに加え、息をするかの如く口から出てくる「すみません」のという言葉。なぜ日本人はこうも謝るのでしょうか。今回は日本特有の「世間」という考え方から、なぜ日本人はとりあえず謝るのかを解説していきます。


誠意がないと「世間」が許してくれないから

本書によると日本人の場合「何かあればすぐに謝らないと、相手や世間が誠意がないと許してくれない」とのこと。それに対して欧米では、謝ったら責任を認めたことになるので謝らないとのことです。確かに、欧米には沢山いる弁護士の主な仕事は言い訳をすること。依頼された人の主張を如何に自然に正当化することで飯を食っているので、納得できる部分もあります。

世間とは?

そもそも「世間」とは本書によると、日本に存在しない「個人」や「社会」というものの代わりに存在しているものとのこと。世間はちょっと顔見知りだったり、話したことがある人も含み、非常に曖昧なもので、日本人はその世間から離れて生きていくことはできないと固く信じています。そして、世間の「内」と「外」は明確に区別されています。

その世間の「内」にいるために、取り敢えず謝るのです。例えば企業が不祥事を起こし「世間に迷惑をかけて申し訳ない」と言ったとしましょう。その際、それを見た世間内の人間は2つの選択肢、「ゆるし」と「はずし」を持ちます。謝らないことは自動的に世間(=国民やユーザー)から「はずし」を受けるため、取り敢えず謝るのです。

また、不祥事を起こし内心では「悪くない」「間違っていない」と思っていても、表面上で「真摯な対応」をしているならば許されるとのこと。それでは、悪は減りませんよね。この「問題を取り敢えず治める」感について今一度考える必要がありそうです。

『なぜ日本人はとりあえず謝るのか―「ゆるし」と「はずし」の世間論 (佐藤 直樹)』の詳細を調べる

    
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