90年代サブカルチャーとは何だったのか

ゴミ漁りのレポートを雜誌にレポートし、唐沢俊一と時事ニュースについて鬼畜かつ正論な意見を吐き続け、最後はファンを名乗る男性に刺殺されるという壮絶な最後を遂げた村崎百郎のメモリアルミュージアムが伊豆にオープンしました。

私設の博物館とはいえ、村崎百郎という存在が、1つの記録としてアーカイヴされることは時代の変化を感じます。


90年代サブカルは80年代の連続だった

村崎百郎が活躍していた1990年代はサブカルチャーの最盛期であったと言えます。90年代サブカルの特徴は、80年代のサブカルチャーの延長線上であったとも言えます。

エロ本になる前の「宝島」や、投稿雜誌として知られる「ビックリハウス」、あるいは糸井重里に代表されるコピーライターなどの横文字職業の台頭、作りこんだコントとも異なる「元気が出るテレビ」などのドキュメントとしてのお笑い番組などの文化で育った人間が、90年代に入って自らサブカルチャーを発信する側になったのです。

未熟であること

90年代サブカルチャーの作り手は、アウトプットにおいて、あえて未熟に振る舞おうとしていたところがあるように思えます。

それは逃避というフレーズに集約されます。学校を出たらすぐに働いて実家に仕送りをしなければいけない。ほんの前まであった光景はなくなり、自分の分だけ働いて、あとはのんびりとくらすフリーターのような生き方がができた時代です。

そうした経済的な余裕が、精神的な猶予を産み、90年代サブカルチャーを生み出していったのです。

    
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