なぜ東京駅に再び赤レンガが戻ってきたのか

2012年10月1日にオープンした東京駅丸の内にある「赤レンガ駅舎」。駅舎をスクリーンにしたCGショーが話題を呼びました。一方で、この春に開業した「渋谷ヒカリエ」も好調な様子。渋谷に活気をもたらす新たなエンジンとして期待されています。今、かつて仕込まれた都市計画が様々なところで目に見える形となって花開いています。観光立国に向け着々とハード面は整えている模様。そこで今回は復元された東京駅の赤レンガ駅舎について東京駅の歴史を交えながら紹介します。


東京駅の歴史

まず、東京駅について簡単に歴史をおさらいします。

1914年

この年には7年にも渡る工事の末、東京駅は完成し開業しました。

1945年

30年代には東京中央郵便局を主に、企業オフィスが誕生しました。しかし45年は戦争真っ只中。まず東京大空襲により丸の内駅舎が焼失、続いて八重洲駅舎も焼失してしまいます。

1988年

戦後も時として駅舎が消失したことや、高度経済成長の中で「丸の内赤レンガ」不要論が出てきました。しかし、88年には公式に「赤レンガは保存するもの」として方針が固まりました。

2012年

遂に丸の内赤レンガ駅舎が完成しました。当時は資材不足で叶わなかった3階部分が67年ぶりに復元され、レンガ部分も2階以下のレンガとトーンを揃えるために試行錯誤した末、設計されたそうです。

丸の内 vs. 八重洲

東京のビジネス街の中心である「丸の内」と「八重洲」ですが、それぞれ異なった性質があります。

丸の内

  • 皇居に面している
  • デベロッパーは三菱地所
  • 「オフィス街→オフィス街+大人が集える街」へと変化

八重洲

  • 海が近い
  • 土地所有者は様々で、所有者の意見を尊重
  • 「オフィス街→オフィス街+広場」を試みるが既にある莫大な交通量がネック

JPタワーが景観を損ねないよう作られていることから丸の内側は「文化」を、八重洲側は「実用性」に重きが置かれている印象が感じられます。

10数年前に仕込んだ種が着々と目に現れている東京という街。都市開発において、デベロッパーが舵を取ることで街の文化や人を作り上げてきた例は沢山あります。渋谷然り、六本木然り。彼らのビジョンや実効性がこれからの街の歴史を積み重ねていくでしょう。日本橋をまたがる首都高についての動向も要チェックです。

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