1995年を考える

1995年はどういった年として記録されるでしょうか。現代史をひも解いてみると、1月に阪神淡路大震災が起こり、3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きました。そのあとはメディアはオウム一色となったのはよく知られています。この2つのトピックに共通するのは戦後の日本が保ってきた安全神話が破壊されたことではないでしょうか。そこから20年を経た今、私たちの前に立ちはだかっているのは、日本は豊かですらないといったシビアな現実でしょう。


やり残しを考える

そのような現在から過去をさかのぼるにあたって、1995年に未完了の問題があるのではないかということを問いかけた本が中西新太郎編集による『1995年:未了の問題圏』(大月書店)です。雨宮処凛、中島岳志、湯浅誠、栗田隆子、杉田俊介との対話を通して、1995年と現代日本社会を考える本です。ここに登場する対話者たちは、1995年前後は20歳くらいの若者として過ごしていました。すでに物心はついており社会を見通せる存在から、上の世代や、日本をどのように見ていたのかが語られています。

サブカルチャー体験も

さらに90年代は豊穣なサブカルチャーが存在した時代でもあります。マンガや、映画、アニメなどはもちろん、雑誌文化や、そこでの連載原稿に注目したコラム文化などがありました。彼ら、彼女らの影響を受けたものも語られているので同世代には懐かしく、別の世代にとっては新鮮な出会いとなるでしょう。

    
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